中西香菜さんの卒業コンサート
新卒で入った会社が本当につらくて、毎日喫煙所でヤッタルチャンとタチアガールを聞いて出社していたこと。
ヤッタルチャンのかななんがかわいくて、関西弁で好きだった。
それが7年前?か。
そこから仕事に必死でハロ自体から離れていた(聞く余裕がなかった)な。
また聞くようになったのが2年前とかで、
久々に行ったハロコンで「やっぱかななんかわいいわ。一生推そ」と決めた。
2018年の冬にかななんは足を怪我してしまって、ハロコンにちょこっと出てきてくれたけど痛々しくて心がつらかった。
なのにブログはほかほかで…本当に優しいなと思って読んでいた。
2019年のひなフェスは花道がすごく近い席で、かななんのはじける笑顔を正面から受けてしまい、心を射抜かれてしまった。
2019年6月、あやちょの卒コン。かななんがあやちょになかなか心開けなかったこと、救われたことを話していて、顔が見れないと言っていたのが心に残っている。
かわむーを、たけちゃんを、アンジュを頼むと勝手にお願いしていた。
9月、りなぷうの卒コン。りなぷうとかななんの声のバランスが好きだった。これからアンジュはどうなっちゃうの?でもかななん、あんたの時代やで、と思っていた。
そしてかななんの卒業発表があった。
誰も聞いてないし見てないけど私は何回も言っていた(書いていた)夢があって、それは「リーダーかななんの武道館卒コン」だった。
勝手にそれを予定して、そこに向けてかななんを推そう!と思っていたので
えっ、えーーーーーーー
と心が真っ暗になってしまった。
かななんが卒業を決めた理由はわかる、本当によくわかるので嫌ではないし
めちゃめちゃ応援はしたいけど、もうちょっといてよ…と思ってしまった。
でもそれは本人は求めても望んでもいないので、
最後に生で見られるパシフィコのコンサートを楽しもうと決めた。
パシフィコから11月末ぐらいまで、かななん卒業の実感が全くなかった。
でも、にわかにTwitterで「会えるのは最後」「最後の握手会」という文章を見て、
12月に入ったその日付を見て、
急にかななんがいなくなることの実感がわいてきた。
私の知ってるスマイレージ、アンジュルムがなくなってしまうような気持ちになった。
平常運転じゃなくて、惜しむモードになっていることが辛く、
アンジュルムだけじゃなくてハローを聞けなくなってしまった。
12月9日、まろが作詞作曲した天使の涙のPVが出て聞いて泣いた。
そして12月10日、私はライブビューイングに行った。
PMPWのレッスン映像は、かななんの卒業が発表されたときに改めて見て泣いていた。
それを含んだ映像がオープニングで流れてこらえきれなかった。
辛いとき聞いていたタチアガール、かななんを好きになったヤッタルチャン、かわいいかわいいチョトマテクダサイ、レッスン映像を見たPMPW全てがいとおしくてかわいくてかわいくてかわいくて大好きで涙が止まらなかった。
もちろんベタに交差点では心がつぶれそうになった。
卒業セレモニーはかななんらしくニコニコで、かわいくてしょうがなかった。
そして天使の涙を歌ったんだけど、もうわたしはまろがかななんのことをそういう風に見てくれていたことだけで嬉しい。あの歌をかななんに渡してくれたこと、
それをかななんが歌ってくれたことが嬉しかった。
まろが私たちの気持ちを代弁してくれたというか…(おこがましいな、まろの方が長く近くいたんだよ!)
カメラではよくたけちゃんとかななんが2ショットで抜かれてて、そのたびにぐっときた。2期みんな苦労したもんね、そこからいろんなことがいっぱい変わって、
抱えるものも大きくなって、アメリカの絆本当に強いなと思った。
みんなの一言、すっごい心強くて、私はかななんが卒業してもアンジュルムのコンサートに行くし、みんなを絶対に応援しようと思えた。
友よってもう死ぬほどいい曲。国家にしてほしい。
あまりにも感動的で、たけちゃんとハグされたらだめだった。
最後の最後かななんが出てきてくれて、名残惜しすぎて心がぐちゃぐちゃだった。
でもきれいでかわいくて優しくて面白いかななんのままでずっといてくれた。
あーー
かななんを推しててよかった。
私はこれからもかななんを心に生きていく。
ありがとうかななん、
あなたがくれたピンクと笑顔大切にする。
自信をもって、キラキラで幸せになってね。
帰って、りなぷうとの2ショットをみて、アメリカの4ショットをみて、
まろめいめいあやちょあいあいも入ったアンジュルムの写真をみてまた泣いた。
中西香菜さん卒業おめでとうございます。
ずっと好き。大好き。