このところ私が苦しんでいるルッキズムについて
私はPR会社で働いた過去があって、今はマーケをしている。
そんな弊社に最近広報部ができた。
私は広報の仕事もやることがあって、業界特有の
顔面キラキラ&ポジティブ&掲載取れたらFB投稿の下りにうんざりしていた。
本人らはいたってまじめにしている。
しかし私にはそのキラキラにはついていけなかった。
私はそちら側の人間ではないのでお呼びでもないだろうし。
なので広報活動をちゃんとしていなかった。周辺人物に関わりたくなかった。
広報部ができたことで一応経験のある私が一次面接をしたり、
採用広報についての話が耳に入るようになった。
一次面接をするときに言われたことは
「顔がいい子」
面接して「ウーン」と思っても
「顔がいいから通して」
と言われた。
私はその方針には反対ではない。
よくわかった。かわいい子が広報をすればいい。その方がいい。
でも本意ではない。
なのに私は「顔がいいから」という理由で人を通している。
またある時は社員インタビューのコンテンツを考えるために採用担当にヒアリングした
「どんな人を出したいですか?」
出てきた答えは顔が良い3名の女性の名前だった。
その人たちが嫌というわけではない。
私の心が死んだのは裏の意図が全てわかったからだ。
そんなことばかりでここ数週間、疲れてしまった。
かわいい子は本当に性格も良く愛想もいい。
気づいたらみんなから好かれている。
それは彼女らが振る舞いも素敵で人を突き放さないからだ。
顔を理由にしてそれをしないのが私だ。
バレンタインもあげない、
飲み会でもにこにこしてよいしょしない。
それでこんなことを言っているのは違うかもしれないことも分かっている。
でも私はそちら側ではない。
あーーー人間として必要とされていない、役に立てないことをまざまざと
見せつけられて心が疲れてしまった。
さっき桜井野の花のユーチューブを見てて
「セクハラ・パワハラまがいのことを嫌ですというのもいい。でも受け入れることがし出世には近道」と言っていた
そうなんだよな
そうなんだよ
回りにどんな風潮があったとしても、顔が良くて愛想がいい子が最強なんだよな。
顔が良くなくても受け入れる人間の方がいいよな、そりゃ。
それができない自分は何なんだろう。やろうと努力したほうがいいのか。
そしてこの顔面至上主義の世界は何なんだろうか。
それに100%対応できない自分は退職したほうがいいのだろうか。